トップ > NPO法人支援センターあんしん > あゆみ > 支援の輪―奇跡が起きた
たかがNPO法人である私たちには、行政からの支援は望めません。ワークセンターが中越地震で受けた被害の大きさに、一時は再建断念も覚悟しました。でも、このままでは本当にあきらめきれません。 「なんとかしなければ!」
私の手元には、友人やこれまで名刺交換した人たち約2干人のリストがありました。強い余震の続く中、私は地震の翌日からワークセンターの被害状況を写真に撮り、何とか助けてもらえないだろうかと、2千人の名簿に向けてネット発信しました。すると、なんとその翌日に友人が10万円を送ってくれたのです。嬉しくて涙が出るほどでした。その後も私はへルメットを被ってパソコンにむけて「新潟中越」の状況を送り続けました。
「ワークセンターあんしん」の受けた被害を知った経営者たちは、今度は自分の知り合いに発信し、その知り合いの方がそのまた次の知り合いへと発信・・・。あちらから、こちらから支援が寄せられてくることになりました。
地震発生から数日後のことです。ワークセンターあんしんの被害を聞きつけた「NP0法人難民を助ける会」の柳瀬房子理事長がメンバーを数人連れて状況を見に来てくれました。私は柳瀬さんにも必死の思いを訴えました。たぶん、只ならぬ顔をしていたのでしょう。中越地震での支援先を探していたという柳瀬さんはその場で50万円の支援金を私に渡し、こう約束してくれたのです。 「工場の再建に必要なお金は必ず集めます。すぐに工事を始めてください」 多額の支援金を寄せていただきましたが、これらは全国の会員の皆さんが、ワークセンターのために呼びかけてくれたものだということです。
地震後20日ほど経ったころ、復旧に苦慮しているワークセンターの姿が全国新聞に取り上げられたのです。
メディアの力はすごいものです。全国から一斉に支援が寄せられてきました。なかには、障害者施設や学校の児童からの心のこもったメッセージや千羽鶴もありました。
支援の輪は、本当に大きく広がっていきました。
建物の応急処置をしてくれた「NGO国際飢餓対策機構」のみなさん、障害者の作業を手伝ってくれたみなさん、数え切れないくらい多くのボランティアさんも全国から駆けつけてくれました。
中越地震に際して寄せられた支援は、全国から5百件に上りました。これでワークセンターを立て直すことができます。まさに奇跡が起きました!
1月、ワークセンターあんしんの図面が出来上がりました。そのころワークセンターは、近所の老人福祉施設に場所をかりてトイレットペーパーの作業をしていました。手狭ではありましたが、私は作業中のみんなにこの図面を見せました。そのとたん、障害を持った彼らの顔がパッと輝いたのです。今でも忘れられない瞬間です。
その冬は、地震に追い討ちをかけるような豪雪でした。でも、いつもの冬とは違います。中越地震で知り合った全国の人たちからは気遣いや励ましが寄せられてきました。それに何と言っても、ワークセンターの工事がいよいよ本格的に始まるのです。これほど明るく温かい冬は、いままでにあったでしょうか!
この冬には、もう一つ忘れられないプレゼントをいただきました。2月23日「NPO法人難民を助ける会」が主催する、中村紘子さんのチャリティコンサートに招かれたのです。「支援センターあんしん」に通う障害者2名とスタップの総勢8名で上京してきました。中越地震と12月26日に発生したスマトラ沖地震の被災者への支援のために開催されたこのコンサートには、美智子皇后陛下が皇太子殿下のお誕生日にも関わらずご出席になられており、じきじきに温かい励ましのお言葉をいただくことができました。大きな勇気と希望をいただけた一日、本当にこれも多くの皆様のおかげだと思っています。
(上記は、民間福祉の現場リポート「ばか社長の実践考動学」から引用しました)